こんにちは。
東日本大震災から13年。
毎年ブログでは3月11日に合わせて消防団の話題を取り上げています。
2024年は元旦から能登半島地震が起き、多くの犠牲者が出ました。
そうした時に何ができるのか、また、犠牲となった団員の方について取り上げます。
●被災地でできること
消防団で真っ先に思い浮かぶのが「初期消火」。
津波警報で避難を余儀なくされたこと、電柱や家屋の倒壊で通れなかったことも要因でしたが、他にも要因がありました。
その1つが「川に水がなかった」こと。
これは津波の引き波の影響から水がなかった可能性が示唆されています。
その影響から団の活動に参加できなかった方も多くいたようです。
このようなことから初期消火で機能できなかった消防団。
ですが、被災後に別の形で活動をしていました。
その1つがパトロール。
被災地では火事場泥棒が多発します。
そこで、輪島町消防団では、毎日パトロールを行い、犯罪を未然に防いでいました。
この活動には住民から「安心できる」と好評な意見をもらっているようです。
他にも支援物資の輸送や雪かきなどできることをしています。
できることからコツコツとこうした活動にも消防団がある意味があるのかもしれません。
●犠牲となった消防団員
今回の地震では犠牲となった団員の方もいました。
その1人が稲垣寿さん。
稲垣さんは地震が起こった直後、同居する母と祖母を逃がし、自宅の1階で出動する準備を始めたそうです。
稲垣さんが着替えていた時、2回目の地震が起こり、家が倒壊。
稲垣さんは自宅に生き埋めになってしまいました。
このことに気付いた住民が119番しますが、電話は繋がらず、住民たちは持ち寄ったバールやハンマーでがれきを押しのけ、稲垣さんを発見します。
励ましの言葉をかけながら、救出作業を進め、余震でたびたび中断を余儀なくされながらも、最後はチェーンソーで木材を切り、1時間がかりで稲垣さんの体を助け出しました。
稲垣さんは救助された直後は住民も安堵の表情を浮かべたそうですが、最終的に稲垣さんは担架代わりのふとんの上で息を引き取ったそうです。
稲垣さんがもし、消防団活動を優先せずに家族と逃げていれば命を落とさなかったかもしれません。
使命感にあふれる方が尊い命を落とされたのは残念でなりません。
活動をするために着替えていて起こった悲劇。
今後は活動するときの服装を大災害の時は私服でもいいような見直しが必要になってくるかもしれません。
未曽有の大災害が起こっても何らかの形で活動はできる消防団。
今回の災害からも活動内容を見直し、実践に活きる訓練を実施してほしいです。
それではまた次回の記事でお会いしましょう。