*この記事は2021年9月3日に投稿し、9月20日に一部修正、中盤から追記したものです。
こんにちは。
2021年9月2日、東京地裁にて池袋暴走事故の加害者、飯塚被告に禁固5年が言い渡されました。
求刑は7年でしたが、過去の判例のように引き下げられての判決となります。
裁判長がどう断罪としたのか見ながら、書いていきます。
●裁判長から
まず、判決では車の過失はなく、飯塚被告の一方的な過失と認定しました。
過去にもメーカーや検察官など様々な人たちが車の過失はなかったことを客観的な証拠を用いて論じました。
トヨタに至っては公式に声明も出しています。
飯塚被告は一貫して車の不具合による事故で、自分の過失はないとしていましたが、完全に否定された形となります。
他にも、「事故により、母子の尊い命が失われた。事故により突如として将来の希望や期待を絶たれ、愛する家族と永遠に別れなければならなかったものであり、その無念は察するに余りある」と述べています。
更に、納得したのであれば、過失を認め、被害者やその遺族に真摯に謝ってほしいともしています。
この言葉は届いたのでしょうか?
●松永さんの言葉
ご遺族の松永さんは命の戻らない虚しさを感じながらも、前を向いて歩いていくきっかけにはなったと語っています。
そして、2人の命と向き合ってほしいとしながら、今が過ちを受け入れた上で謝罪するラストチャンスと述べられています。
ここで、自分が悪かったとして初めて表面上でなく、真摯に亡くなられた2人、被害にあった方々、ご遺族にちゃんとした謝罪を述べることができるのか、注目したいですね。
私が一人の作業療法士として、松永さんたちの会見で印象的だったのは、高齢ドライバーの運転についても述べられていたことです。
その中で、田舎の高齢者など運転せざるを得ない高齢者についても述べられていました。
今回の事故の後、ヤフーのコメント欄などでは年齢による運転免許の一律返納を推す意見も多く見られました。
しかし、私も田舎の人間として運転がないと生活が成り立たないことも分かります。
松永さんは一律にどうするではなく、都会のようにインフラ整備が整っていない田舎ではどう対策していくのか考えていくべきだと述べていました。
まさしくその通りだと思います。
大きな社会問題となったこの事故から社会全体が高齢ドライバーという課題について考えていけるようになるといいですね。
●飯塚被告は禁固5年を受け入れる
禁固5年の判決は出ましたが、飯塚被告サイドは納得がいかなければ、「控訴」という手が残っていました。
控訴を行えば、高裁、上告まですれば最高裁まで裁判が続く可能性がありました。
しかし、飯塚被告は控訴せず、今回の判決を受け入れました。
判決後、気になっていたのは
①民事訴訟
②瑞宝重光章
この2点です。
まず、①なのですが、過去にも取り上げました。
「控訴しない=罪(過失)を認める」となれば、民事裁判でも間違いなく不利になると思われます。
続いて②のいわゆる勲章です。
勲章は勲章褫奪令(くんしょうちだつれい)によって、「刑期を問わず懲役の実刑か、禁錮3年以上の実刑」となれば、剝奪されるそうです。
長年勤めあげてきてもらった勲章。
おそらく、誇りに思っていたことでしょう。
それを90歳にして剥奪されることに耐えられるのか。
裁判中の態度からここに疑問を持っていましたが、飯塚被告は勲章褫奪令も受け入れる姿勢を示しました。
これら2点の不安要素はありましたが、判決を受け入れました。
今後の民事裁判に影響を与えることは間違いないでしょうし、勲章というプライドを捨てることも受け入れました。
相変わらず、反省の弁で「自身の過失」は認めていませんが、一定の反省は示したのでしょうか。
●私の感じたこと
この2年5ヶ月、理不尽な現実・主張に耐え続けてきた松永さんらご遺族の心情は筆舌に尽くしがたいと思います。
今回の判決で刑事裁判が終わり、松永さんらご遺族や被害者の方々が少しでも前を向いて進めることを願ってやみません。
事故当時、小さかった私の娘はもう2歳を折り返し、3歳へと向かっています。
今、子どもに先立たれるなど考えたくもないですし、想像もできません。
妻と娘がいる私だからこそ、凄まじい試練に立ち向かう松永さんを支援したいと思い、公判などを取り上げてきました。
ニュースを見ている私でさえも長い期間でしたし、ご遺族にとっては更に長い時間だったかと思います。
本当にお疲れさまでしたとお伝えしたいです。
最後に松永さんのブログにあった飯塚被告へあてた言葉です。
「私にこの先何年も、人を恨み続ける道を歩ませないで欲しい。2人の愛してくれた、私らしい私でいさせて欲しいのです。」
この言葉は本当に被告に届いてほしいです。
松永さんたちに少しでも落ち着いた日々が戻るよう、被告には罪と向き合ってほしいです!
●最後に
裁判では様々なことを訴えていた松永さんや奥様のお父さん。
判決が確定したことで、裁判後の記者会見は最後になるかもしれないそうです。
今回、被告が求刑7年だったことに対して5年と減刑されたのは社会的な制裁があったからという理由でした。
事故のあと被告のもとには脅迫状が届いているほか、自宅付近で被告を非難する街宣活動があったそうです。
社会的に大きな注目度があった事故とはいえ、これらの行き過ぎた言動が減刑の1つの理由となってしまったかもしれません。
言いたいことは分かります。
ですが、脅迫状などは犯罪行為ですし、決して許される行為ではありません。
当事者でない人間の行き過ぎた行為で被害者たちが望む求刑がされない。
こうしたケースを作らないために1人ひとりが気を付けていかないといけません。
今後、民事訴訟などは続くのかもしれません。
刑事裁判は終わりましたが、事故で亡くなられた松永真菜さん、莉子さんは帰ってきません。
被害者の方にとって一生取り戻せないことも多くあります。
ですが、1つの区切りとして松永さんらご遺族や被害にあわれた方々が少しでも前を向いて、少しでも何気ない日常を取り戻してくれることを願っています。
最後に刑事裁判終了後、松永さんが最後に述べられた言葉で終わりたいと思います。
ぜひ読んでみてください。
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二人に出会えて本当に幸せでした。たくさんの愛をくれてありがとう。心から愛しています。 「交通事故をひとつでも減らせたよ」と二人に胸を張って天国でいつか言えるように生きていきます。これからは、ふたりの愛してくれた自分らしく生きていきたいと思います。
これまで応援をしてくださった皆様。私たちを支えてくれた支援者の皆様。懸命に捜査をし てくださった警察と検察の皆様。共に戦ってくれた家族や友人の皆。心から感謝しております。本当にありがとうございました。
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ではでは。